不思議な体験⁉️鎌倉にて時空の旅
7月の1週目は2回登山トレーニングを予定していました。
けれども雨は途切れることなく降り続けていて、色々検討した結果
歩くトレーニングをすることに切り替えました。
歩くとしたら、やっぱり鎌倉かなぁ💖
鎌倉に詳しいりさちゃんにコースを一任。
その日の予報は午前は曇りで、午後から崩れるとのことなので、朝早めに大船にて待ち合わせ。
そのため5時過ぎに起床。
洗面所に立ったら、足元にムカデが‼️😱
ヤマビルといい、ムカデといい、
今週は大当たりだわー🎯😣
ムカデを外へ放り出し、
洗顔しようとしたらいきなり鮮血が白いシンクに広がって😳😣😖👀‼️
何事⁉️と思ったら鼻血👀
珍しい〜
何年ぶり⁉️
やれやれ、朝からムカデやら鼻血やら😓
おかげで朝ご飯は食べられず、
大急ぎで待ち合わせ場所へ向かう。
大船観音(初めて❣️)を参拝するつもりが、
9時から開門のため入れず😓
気を取り直して湘南深沢駅まで歩き(30分)
泣塔〜諸々の神社仏閣〜長谷寺ゴール
というコース。
泣塔❓
凄い名前。
気になる。
『モノレールの湘南深沢駅を出て大船駅寄りに少し戻ると、鎌倉市のグランドが左側にあるので中に入り、木々が茂っている方向に行くと、フェンス(中に入れます) の中に「泣塔」があります。』
というコースガイドの通り目指して行く。
グランドからは何も見えず。
木々が茂っているところ?
あ、あれ?
この、泣塔の前に立った途端、
胸の辺りから痺れが始まり、
全身ビリビリ痺れ出し、
気がついたら号泣していた。
そして謝罪していた。
このコースを選んでくれたりさちゃんは、
10数年も前からこと泣塔が気になりながらも訪れたことはなく、
満を持して今日を迎えたとのこと。
りさちゃんとは鎌倉時代に何か深いご縁があったとしか思えないのよね。
まさかの泣塔でこんなことになろうとは...
『銘によると文和5年(1356年)に建てられた石塔であり、その背後に“やぐら”が設けられていることから、おそらくこの年号より少し前に付近で複数の人間が亡くなった出来事、具体的に言えば、新田義貞と北条守時が戦った洲崎合戦の北条方供養碑であると考えられている。即ちこの地は多くの人の血が流された、しかも鎌倉幕府滅亡という悲劇的な戦いの場なのである』
日本伝承大鑑より
『多くの血が流された』
『鎌倉幕府滅亡という悲劇的な戦いの場』
ここ数日で連続の流血、
朝、食事を摂らずこの地に来たこと。
どう考えても懺悔、謝罪をするために連れて来られたとしか思えないのです....
記憶がフラッシュバック、みたいなことはなかったけれど、
泣けて泣けて仕方がない。
今回のみならず何回か足を運ばせて頂く地であることを確信したのです。
単なる登山トレーニングがこんなことになるなんて‼️👀
全ては必然。
これからの残された人生は魂を辿る旅になる、
そんな予感がしています。
長谷寺への間にある神社仏閣は立ち寄らず、
ひたすら長谷寺へ向かいました〜❗️
続く